隅田川の水練場寒中水泳

 寒中水泳。一年で一番寒い寒中に心身の鍛練と新年の決意を込めての寒中水泳は、日本のみならず世界各地で行われています。ロシア、中国、カナダ、ドイツ、北欧諸国など日本より気温の低い国々でも盛んのようです。

 日本では今年元旦に、レスリングの北京オリンピック代表たち40名が東京お台場海浜公園において「寒修業」を敢行しました。東京近県では、元旦に神奈川県の相模川高田橋付近と沼津市の千本浜海岸で寒中水泳が行われたようです。

 1月3日には長崎市の「ねずみ島」(皇后島)で恒例の寒中水泳が行われました。ねずみ島はねずみが多かったところからその名が付いたといわれますが、明治34(1902)年に古式泳法「小堀流踏水術」の道場が開かれた島でした。島は現在陸続きになっているそうです。

 ここ中央区では、水泳ではありませんが、1月13日に鉄砲洲稲荷神社において「寒中水浴」が行われました。今年で53回を数えるということです。水槽に氷柱を立てそこに入ります。13日は春めいた陽気から一転して寒気がやってきましたので厳しい水浴となったことでしょう。

 中央区でもかつては隅田川や築地川、月島海岸などでは水が綺麗で水練場(水泳場)が設けられ、寒中水泳が行われていました。

 大正12(1923)年1月21日に両国橋のたもとにおいて水泳師範坂本謹吾塾の修養会恒例の寒中水泳が行われた記録があります。隅田川横断と500メートル遊泳を行ったとあり、『写真通信』同年3月号に少女たちの寒さを感じさせない笑顔の写真が掲載されています。

 昭和4(1929)年1月13日、「大日本水泳普及会」主催の寒中水泳が明石町海岸(現在の聖路加ガーデン付近)において行われています。いつから始まったかわかりませんが、恒例行事だったようです。『写真タイムス』(昭和4年3月号)によりますと、参加者は男女学生(府立第五高女学生など)、少年団員など合わせて25名、次から次へと飛び込み台から勇敢に寒流に飛び込んだり、古式にのっとった扇返しの曲泳ぎを披露したりしました。翌年の寒中水泳には80余名が参加したといいますから、盛況だったことがわかります。

 また、同月20日の大寒の入りには、両国橋のたもとで少女たちが妙技をふるいました。こうしてみますと、隅田川河畔のあちこちで盛んに寒中水泳が行われていたことが想像できます。

 ところで、隅田川の水練場の起源の詳細は分かりませんが、豊島寛彰著『続隅田川とその両岸』(上巻昭和42年)によれば、正保4(1647)年6月、三代将軍家光が隅田川遊覧の折、諏訪町河岸(現在の台東区駒形一、二丁目あたり)に来て、近習の者、外様大名や御徒衆らの水練の様子を上覧し、以後ここに小屋がけをして毎年御徒衆に泳ぎの稽古をするように命じたことが、「正保日記」に書かれているといいます。12カ所ほどの小屋が設けられ、料理屋などもできて、特に夏場は賑わっていたようです。

 『徳川実記』の正保4年6月25日の項に水泳上覧の記載があり、将軍は、未熟な者が多いので、毎日川辺に出てその技に励むべしと、命じたとあります。

『写真通信』大正12年3月号。奥は両国橋

中央区文化財調査指導員
野口 孝一氏

中央区のお知らせ2月15日号より