夢二 永遠の女(ひと) 笠井彦乃(六)

竹久夢二は、画家であると同時に詩人、歌人でありました。夢二の絵には詩情があり、詩歌から情景が浮かび上がります。つぎに掲げるのは彦乃との付き合いが深まったころに読んだ歌です。

・青麦の青きが中をふみわけてひにくる子とおもへば哀し

・これやこの恋ふべからざるきみをこひ恋ふべからざるわれとしりける

・めをとづれば心のうちにうかみいづあはれ哀しききみがまなざし

『夢二日記』

大正4年5月18日

夢二は住居をよく替えました。港屋開店の翌月、雑司ケ谷から神田区千代田町(現、千代田区内神田)へ転居してきました。龍閑川(戦後埋め立てられました)をはさんで日本橋区と接した場所で、もちろん港屋とも近くですが、彦乃の家とは目と鼻の先といった感じです。たまきと別れ、港屋を閉店すると、府下落合村(現、新宿区)に転居しました。冒頭の歌「青麦の青きが中」というのは、麦畑の広がる落合村の情景です。

2人が知り合ったころのい引きの場所は、彦乃の家と港屋の中間、一石橋や常盤橋、西河岸地蔵尊には2人で願掛けに行っています。ニコライ堂や上野の博物館へも足をのばしています。

 今日は夜ふけた一石橋の上に立つた。肌にふれる夜の風はもう充分に秋だ。河岸の柳の葉ずれの音も冴えてゐる。遠くなつてゆく電車のきしむ音さへ、木枯の遠なりのやうにさみしい。物質の亡びゆく時は必ず来るであろう。

 されど今、今宵こヽにこうして堀の水にうつる灯のゆらめき、暗い陰とかすかな光とのもつれて消えてゆくはかなさと哀愁は永久に記憶せられるであろう。

 怪物(モンスター)のやうな日本銀行の建物も、岸の柳も、並蔵も、城の石垣もいつかは土にかへるであろう。

『夢二日記』「童貞へ」

大正4年9月

この場所での彦乃との瀬は、「私の感能から、記憶から、死の後まで霊とともに残されるであろう。また私の後の生活のうへにいかにやさしい可憐な思出として、私の作のうへにまた性格のうへに、美しい色を添へることであろう。」と、生涯の思い出になると書き綴っています。

夢二との親密な交際が父の知るところとなり、瀬もままならない時期に詠んだ歌。

・西河岸のお地蔵様の情知らず御籤をひけばまた凶とでる

・恋しらず情しらずの石地蔵赤涎掛さいてもやらなむ

『夢二日記』「トラピスト」

大正4年10月

大正7年暮れ、病を得て、京都の病院に入院していた彦乃は、彦乃の父宗重によって引き裂かれるように東京に連れ戻され、夢二は彦乃との面会ができなくなると、直ちに彦乃との思い出を綴った追慕の歌集『山へよする』(大正8年2月)を出版します。ここにも日本橋付近の情景がでてきます。

・わが恋はかくもはかなし西河岸の一石橋も見ずかなりなむ

・思出を悲しきものに誰(た)ぞせし一石橋(いつこくばし)のしるべ石はも

・堀どめの水に映りし星よりもなほ遙かなる君とこそおもへ

・昼日中一石橋にたちつくし何を眺むる男なるらむ

・足ひとり鎌倉河岸をあゆむなり眼には見まじきものを見るなり

・ニコライのホオルに入りて相擁(あいいだき)サンタ・マリヤを拝みにけり

  

「はぎと小鳥」彦乃十六歳の作

中央区文化財調査指導員
野口 孝一氏

中央区のお知らせ8月15日号より