水に生きる人びと(七)
水上で生活する人びとにとって、子どもの教育は悩みの種でした。
明治5年(1872)に施行された学制は、国民皆学をうたい、義務教育の実現を目指しました。この精神は国民の中に次第に浸透し、大正初年(1910年代)には児童の就学率はほぼ100パーセントに達しました。しかし、水上で生活する人びとの間では、実家や親戚に子どもを預け学校に通わせる人はむしろ少ないのが現状でした。
子どもを親から離して生活させる心配もありましたし、義務教育6年間、子どもの面倒を頼める実家や親戚がないのが実情でした。子どもを預けるとしてもせいぜい低学年の2、3年のことでした。また、親は、子どもにはしけ(艀)の水上輸送を継がせるためには、早くから水上での生活に慣らす必要も感じていました。
自然と不就学児童が増える結果となり、大正14年(1925)の第2回国勢調査の数字では、東京府の水上生活学齢児童数992人、そのうち就学児童が552人、不就学児童が440人、約半数近くの児童が学校へ行っていないという結果が出ました。
水上で生活する人びとが増えるにつれて見過ごすことのできない状況になりました。水上で生活する人びとと身近に接する人たちの間からなんとかしなければいけないという動きが出てきました。石井昭示氏著『水上学校の昭和史 船で暮らす子どもたち』(2004年、隅田川文庫刊)には、水上で生活する子どもたちの実態や水上小学校の歴史が書かれています。以下この本を参考にしながら、水上で生活する子どもの生活と、水上小学校の歴史について紹介しましょう。
東京において水上で生活する子どもを対象に教育施設を開いたのは、明治28年(1895)、象潟(きさかた)警察署に勤務する警視庁巡査平間寺正純(へいげんじまさずみ)が勤務のかたわら、浅草区(現・台東区)橋場に開いた私立学校「平間寺小学校」が最初と思われます。読書、習字、算術、裁縫を教え、正純の没後は妻が引き継ぎ、約40年間続いたといいます。少し遅れて、大正6年(1917)、元警視庁巡査(警察官)木村清之助が仲間と水上保護会を組織し、南千住(現・荒川区)に授業所を開設しました。地元では「水上学校」とか「水上学校寮」とか呼んでいました。
明治29年(1896)に日暮里駅から分岐して、引き込み線を敷設し、貨物専用の隅田川駅が作られましたが、ここが陸上と水上の貨物の集散地となりました。鉄路を貨物列車に積まれた貨物ははしけに積み替えられ、隅田川の上流下流の各地へ運ばれ、また、東京港に着いた大型船の貨物もはしけに積み替えられ、隅田川駅まで運ばれ、陸揚げされて各地へ運ばれました。水上保護会の「水上学校」の生徒はおもに隅田川駅に停泊するはしけの児童たちでした。在籍数は6.70人でしたが、出席者は10.20人だったといいます。「水上学校」が開設されたのは、ちょうど第一次世界大戦の好景気に沸いた時期でした。物資の動きが活発で、はしけ業界も潤いましたが、それだけにはしけ業者は休む暇のない時期でした。
この二つの「小学校」を開設した人物はともに巡査、元巡査でした。臨海地区を担当したこの2人は水上で生活する児童の実態に身近に接し、見るに忍びず「小学校」の設立を決意したのだと思います。木村清之助は、学校の運営資金を深川倉庫(渋沢家で経営)のこぼれ米と、船底に残った石炭を譲り受け、これを売却して得たといいます。「水上学校」は関東大震災に罹災して閉鎖されました。
大正8年(1919)、元陸軍一等看護官の山崎亮太郎は、学校に行かずにはしけで遊んでいる児童の多いことを憂慮し、その実態を自分で調査して、当局にその救済を訴えました。東京市学務課では、その熱意に答え、山崎を東京市立芝浦小学校の事務員に任命し、水上で生活する児童の就学勧誘に当たらせました。山崎の熱心さが実り、大正11年(1922)に芝浦小学校内に水上特別学級が併設され、児童を受け入れることになりました。この動きがやがて公立の水上小学校の設立につながっていくのです。
水上で生活するうえで、子どもの教育問題だけでなく、大人にとっても生活改善の問題は見過ごすことのできない段階になりました。昭和2年(1927)、水上で生活する人びとの福祉向上を目的とした動きが出てきました。回漕業界有志による「水上協会」の設立です。理事長には水上で生活する人びとの実情に詳しい元東京水上警察署署長の寺阪藤楠が就任しました。
水上協会がまず取り上げたのが水上小学校の設立でした。その設立趣意に賛同した京橋区(現・中央区)が月島第二尋常小学校仮校舎の無償提供を申し出たのを受けて、昭和5年(1930)の開設を目指して開設準備に取りかかりました。設立資金は東京市の助成金と、業界関係者、一般から寄付を募りました。高松宮家から基金が寄せられたのを契機に、三菱、三井、安田の財閥から大口の寄付があり、昭和5年(1930)8月、月島西仲通九丁目5番地(現・勝どき一丁目11番地)に水上協会管轄の「東京水上尋常小学校」として開校しました。現在、中央区立勝どき児童館があるところです。
新築校舎の入学式の日(昭和5年9月)
『写真歴史』(昭和5年11月)
中央区文化財調査指導員
野口 孝一氏中央区のお知らせ3月15日号より