町名の由来 日本橋地域その(二)
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■日本橋蛎殻町地区 日本橋北新堀町(旧町名) 新堀川の北側に沿った町なので、この名がつきました。 日本橋浪花町(旧町名) このあたりは慶長(1596から1614)のころ、大阪方面からの回船が多く着きました。町名は謡曲の難波に由来します。明治4年に難波町と難波町裏河岸を合併して浪花町と改称しました。 日本橋芳町(旧町名) 江戸時代の初めごろまでヨシなどが群生していた所で、町名は江戸期の俗称です。 日本橋人形町(現町名) 江戸時代、多くの人形師が住んでいて、人形を作り、売る店が並んでいたので、俗称で人形町と呼ばれていたものが、正式町名になりました。 日本橋小網町(現町名) 網を引いて将軍の観覧に供した漁師たちが、御肴御用を命ぜられ、白魚献上の特権を得ました。この漁師たちが、一丁目の町角に網を一張干しておく風習から生じた町名と思われます。 日本橋蛎殻町(現町名) 昔は漁師の小網の干し場であり、牡蠣の殻の堆積した海浜であったらしいのですが、町名の由来は明らかではありません。 日本橋箱崎町(現町名) 町名の由来は明らかではなく、筑紫箱崎(福岡県)の名を取ったものとも、昔、箱池(あるいは箱崎池)があったためともいわれています。 |
日本橋蛎殻町地区 |
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■日本橋浜町地区 日本橋村松町(旧町名) 名主の村松源六が起こした地で、その姓をとって町名としました。 日本橋若松町(旧町名) 村松町から分かれたため若松の名にしました。 日本橋矢ノ倉町(旧町名) 地名の由来は定かではありませんが、昔、軍用の矢を納める倉が立ち並んでいたという説があります。 日本橋両国(旧町名) 武蔵・下総両国を結ぶ両国橋に由来します。 日本橋橘町(旧町名) 江戸時代初期に京都西本願寺の別院があり、そのころ、門前に立花を売る家が多く立花町としましたが、後に橘町に改めました。 日本橋薬研堀町(旧町名) 隅田川べりにあった堀で、薬研(薬種を細かく砕く船形の器具)に似ていたことから、薬研堀といい、町名となった説があります。 日本橋米沢町(旧町名) 正保(1644から1647)のころ米蔵がありましたが、元禄11(1698)年火災により焼失しました。その後、米蔵を築地に移し、その跡地を米沢と称しました。 日本橋馬喰町(現町名) 天正年間(1573から1591)博労頭高木源兵衛・富田半七らが住んでいたという記事がありますが、それが町名の由来であるのか明らかではありません。 日本橋横山町(現町名) 町名の由来は明らかではありませんが、永祿2年の『小田原役帳』に、石井某の知行として、五貫三百文・江戸横山分とあることから、そのころすでに一村落を成していたようです。 ※知行=武士の俸禄として支給された領地 東日本橋(現町名) 住居表示の実施により生まれた町名です。 日本橋久松町(現町名) もとは村松町の一部でしたが、元和3(1617)年に分けて一町となりました。町名の由来は、明らかではありません。 日本橋浜町(現町名) 昔は海浜の面影を残していたため、浜町の名が生じたといわれていますが、俗称であったようです。 日本橋中洲(現町名) 町名の由来は明らかではありませんが、水路を隔てて大川(隅田川)へ築き出した市街地で、荻が群生する洲だったことから、この名が生まれたようです
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日本橋浜町地区 |
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清洲橋 |
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平成19年2月1日号より
【問合せ先】建築課調査係 TEL 3546-5453 |
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