町名の由来 日本橋地域その(一)

   

■日本橋本石町・日本橋室町・
日本橋本町地区

日本橋本石町(現町名)

昔、米やその他の穀物を売る者が多く居住しており、石町といっていましたが、後に新石町(現在の千代田区内神田三丁目・鍛冶町二丁目)ができたことにより本石町と改称しました。

日本橋室町(現町名)

京都の室町にならったという説と商家が多く集まっており、その土蔵(室)が立ち並んでいたためという説があります。

日本橋本町(現町名)

江戸時代初期、徳川家康が最初に地割を行った地で、江戸または日本橋の中心的地域であることから生まれた町名です。

日本橋本石町・日本橋室町・日本橋本町地区

      

■日本橋小舟町地区

日本橋浪花町(旧町名)

このあたりは慶長(1596、1614年)のころ、大阪方面からの回船が多く着きました。町名は謡曲の難波に由来します。明治4年に難波町と難波町裏河岸を合併して浪花町と改称しました。

日本橋芳町(旧町名)

江戸時代の初めごろまでヨシなどが群生していた所で、町名は江戸期の俗称です。

日本橋小舟町(現町名)

慶長8年(1603年)の町割のときは下舟町といいましたが、享保5年(1720年)に西側の大船町に対して小舟町としました。

日本橋小伝馬町(現町名)

名主宮辺又四郎が伝馬役をつかさどったことに由来します。

日本橋大伝馬町(現町名)

馬込勘解由が、家康に道中伝馬役を命ぜられて、ここに屋敷が置かれたことに由来します。

日本橋堀留町(現町名)

文字通り堀割がここで止まっていたことから生まれた町名です。

日本橋富沢町(現町名)

慶長のころ鳶沢甚内に支給した土地で、鳶沢は江戸の盗賊の取締りを命じられました。初めは鳶沢町といいましたが、後に富沢町に改められました。

日本橋人形町(現町名)

江戸時代、多くの人形師が住んでいて、人形を作り、売る店が並んでいたので、俗称で人形町と呼ばれていたものが、正式町名になりました。

  

日本橋小舟町地区

 

「三井本館と室町三井新館」

平成18年12月1日号より

  

【問合せ先】建築課調査係 TEL 3546-5453